POEMS DE TEX.

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占占占 2011年03月23日(Wed)
思ったんだけど、今思えば「買い占め」ってさかんに言われてたけど、みんなそんなに買い占めてなくねえ?

買い占めって言葉がバーンとなって、買い占めやめようよみたいになって、買い占めやめようってなったけど、大多数の人は買い占めてないと思う

ただし大多数の人は、不安感から普段だったら牛乳を一本買うところを二本買ったんじゃねえかな

ただし大多数の人は、不安感から普段食パンを一斤買うところを二斤買ったんじゃねえかな


イッコをニコにしたそれは買い占めじゃない

でもイッコをニコにしたら通常の二倍の需要になる

そしてスーパーの棚に品物が無いままだったのは物流が滞っていたからだ


大々的に買い占めてた人もほんとにいるけど小数なんじゃねえかな


きっと。



「買い占め」


って言葉自体が狂騒だったんじゃねえかな


みんな割と穏やかだったよ。


占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占占


どう?

ゲシュタルト崩壊した?


年度末ワオワオ 2011年03月22日(Tue)
なかなか年度末!
なかなかの年度末!
今日は夜、新宿か池袋でザ・チャンバーズのスペシャル・ミーティングが開催されるぜ!

バタバタするぜー!

あ、忘れてモーテルズのサティスファクションは、メンバーのツバサ君が名前つけたんだって!
「なにも出来ないのでせめて名前くらいは…」

と言っていました!

テキサスはサティスファクションって名前だけですでに100勝ものだと思います!


じゃあ、スペシャル・ミーティングの準備しなきゃ!



…忘れてモーテルズ、オン・ザ・ギターの悪玉さんは、なんで悪玉って名前なんだろう…


情報 2011年03月21日(Mon)
ネットは色々と便利だけど不便だね

心?思考?が不便になる

いろんな人がいろんな情緒や考え方、様々な思惑をのっけて絶え間無く言葉を発するから際限がない

善意にも悪意にもまた、中庸と思われる発言にもそれが人からの発信である限り思惑が介在するのは当然だが、テキサスにはその処理が出来ない。

ネットでのやり取りっつーのはテレパシーみたいなもんだろ?
顔も知らない遠くの大量の人の情緒や思惑がテレパシーみたいに目から入ってくるんだ。
いったいだれがそれら全てを正しく処理して判断出来るというのか。

今はまだ旧来のマスメディア、主にテレビが強い影響力を世間に対して持ってるけど、こんな大震災とかがあって結構みんながテレビに対していろんな角度から批判を繰り返してる。
それは完全にいいことだと思います。
ウィキリークスとかSNSとかツイッターとかは革命だと思います。

テキサスなんかが、なにかしたりしなかったりしても世の中はいい方にいい方に向かってると思うし、マスコミ批判なんかしてもしょうがねえけどさ、そんで今、テキサスごときがマスコミの批判をしたところで被災地の人達の為にはなんにもなんないけどさ、大手マスコミには本当に頭にくる。

福島第一原発の一号炉が水素爆発を起こし建屋がふっとんだ時、最初の水素爆発の時、読売新聞がネットで配信した速報ニュースには

「幾重にも張り巡らされた最後の防壁が脆くも吹き飛んだ」
みてーな事が書いてあった。

この記者がバカなのか原発反対者なのかわからないが、よくもこんな記事を発信したもんだ。

原子炉が極めて危険みてえな風評を撒き散らしたのは大手マスコミで、今は風評に惑わされるなと言っている

もちろん冷静に報道しているマスコミもたくさんあったとは思いますけどね


あとは芸能人のブログなんてもんを第一次ソースに使って餓死が出たなんて重大なことを言ってるマスコミもいる


なんなんだ。


でもそれらの現象っつーのは既存のマスメディアの限界なんじゃないかとも思う。
色々な事柄の中にあるマスコミというシステム自体の問題でしょうがねえんじゃねえかなとも思った。

でもだからこそ、情報の送受信が個人間で可能になった現在では、そもそも個人がマスコミに求めていたモラルであったり客観性であったりするメディア・リテラシーを、今後は個人個人が高めていかなきゃいけないですから、ほんと大変だと思います。

我々はそれらインターネットを介したコミュニケーションでもって、混乱はあるけども、情報を判別できる環境にあり、現時点でも少なくとも大正時代の関東大震災時に起きた日本人による朝鮮人の大量虐殺なんかは起こり得ないと思います。

だからいいと思います。


俳優・向井某のブログを読みました。
以下引用。

…とにかく今は自分を信じて気持ちを持つこと。
そして誰かを否定しないこと。
誰かを否定したら、誰かも自分を否定します。

この状況を喜ぶ人は一人もいません。
だからいろんな意見が出るのも当然だと思います。

やれることをやればいいんです。やりたくなければやらなければいい。
だからといって批判する必要はありません。

俺は俺なりに考えたことがあります。
自分のできることをやります。


引用終わり。

全くその通りだと思います。
いいこと書くなあと思います。
震災にあたり、無力な俺らのスタンスはこれしかない。

しかし否定っつーか、批判は社会にとって必ず必要なものだ。
テキサスは今回マスコミを批判してしまいましたが、以降の人生ではなるべく極力、批判は専門家に任せたいと思います。

俺に出来ることっつーか、なんつーか、サティスファクションがなぜサティスファクションかってハナシは、いつ完結できるのか。


私事で恐縮ですが 2011年03月19日(Sat)
16日の早朝、浦賀に住むテキサスの父方の叔母が亡くなり17、18日と二日間葬儀に参列した。
浦賀だから地震とかは全く関係なくて、もうずっと肝臓を悪くして入退院を繰り返してた叔母だったんだけどね

11日の地震があった日も叔母は既に入院していて、恐らく危篤状態にあった。
肝臓を悪くすると肝性脳炎ってのになるらしくて最後の方は意識も混濁していたようだ。
あの地震の恐怖が、病状に因って奇しくも緩和されていたのならば、叔母にとってはそれは良かったことだしテキサスもそう思う。

12日にはテキサスも家族でお見舞いに行く予定だったんだけど地震で行けなくなり、病床に臥した叔母に会えずに残念だった。



ただ、去年の10月あたりにテキサスは妻と娘を連れて浦賀に遊びに行った。
それは叔母さんが元気なうちに一度くらいは遊びに行きなさいという、テキサスの親の奨めによるものが大きかったのだけど。
テキサス自身叔母に会うのは久しぶりだったが、娘を見せるのは初めてだった。

叔母には子はいるがまだ孫がいなくて、甥の子とはいえ、孫の世代を見せる事が出来て、勝手ながら良かったと思う。

叔父さんは僕らの為に昼食に寿司を作ってくれたし、叔母さんは娘にプレゼントにと巾着袋を作って用意してくれていた。
叔母はテキサスに車を出せと命令して、妻と娘と叔母の四人で浦賀の海岸線をドライブして、浜辺に下りて散歩した。



12日にはテキサス家が見舞に行く予定だったのを叔母も知っていたから、朦朧としながらも病床で
「ハナちゃんが遊びに来る」
と言って楽しみにしていたらしく、最後にハナを見せられなくなってしまい甥としてはそれが心残りです。


あ、テキサス、ここまで書いてアレだけど落ち込んでたりしてるわけじゃねえよ!
超親しい親戚ってワケでもなく、テキサスに親しい親戚なんかいないんだけど、親父の姉ってことでね、人並みの範疇の叔母と甥の関係だと思うんだけどね、だから人並みに寂しい感じではありますけどね。

まあなんか寂しいなあと思いますね。

はかない。


叔母や父親達の母親、つまりテキサスの祖母はもう20年くらい前に他界してんだけど、生前祖母はテキサスんちに同居していた。
祖母は当然テキサスを可愛がった。
テキサスもおばあちゃんが好きだった。

祖母は最後まで俺に気をかけていた。

人並みにですね。

それがどうこうって話じゃなくてね。

叔母はやっぱり祖母の子供だから、叔母の晩年はテキサスの記憶にあるおばあちゃんの姿にそっくりになってるんですよ。

おばあちゃんを見てるみたい。

って勝手にイメージを重ねてね。



肝性脳炎で意識が朦朧とした叔母は、死ぬ一日前とかに
「お母さんに会いたい」
と言ったそうです。


叔母の人柄についてはあえてこの記事では言及していません。
叔母がどんな人間であれ、また、どんな状況に置かれた人間であれ、別に叔母じゃなくったって誰でも、やっぱ人間が母親に会いたいと願う思いっつーのは、真理っつーか胸に突き刺すもんがあります。

あ、すみません、「どんな状況に置かれた人間であれ」って書いたけどひとつ補足すると、テキサスのおばあちゃんは戦争で旦那を亡くしているんで叔母は父親の記憶なんて殆ど無いと思うから、イマワノキワに母親のイメージが湧いたのかもしんない。


なにが言いたいかってひとりの人間が親を思い、また子を思い、また孫を思う。

当たり前なことだけど凄いことだね。

また今日の葬儀では、故人が生前趣味でやってたコーラスのおばさん仲間多数、出棺を前に送別の歌を泣きながら歌っていた。

リーダーのおばさんが、みんなの音程を合わせる為に音叉をカツーンと祭壇に当てた時は思わず笑ったが、歌にはまいった。

みんな泣いていた。


故人の弟であるテキサスの父親も、それまではフツーで、まあなんかスゲーフツーな様子だったが歌を聞いて泣いていた。

弟は姉を思い

友達も友達を思う。

皆で別れの歌を歌う。




叔母の死というものは、この時期も時期なので大地震のなんかいろんなもんを思い起こさせ、リンクさせます。

お経を読んだ泉岳寺のお坊さんが言ってたハナシのひとつに、この時期にこのように叔母さんが亡くなったってことを、よく考えてみる価値はあると思います的なことを言っていた

また、導士として残された人を救う言葉として、儀式をやるということは、儀式をやる時、人は思考の外にいるから儀式をやるんだっていうような、なんかわかるようなわかんないようなことを言ってたけどテキサスには伝わった。
こんな時には宗教はやっぱスゲーなと思った。



そのお坊さんはすごく真摯な印象で、篤実で哲学的な求道者だと思った。

お坊さんもまた、この震災の世の中のことに激しく苦悩しているようにも見えた


無題 2011年03月16日(Wed)
君も皆も同じ狂騒を胸にして

皆が右の道に行くのなら

君は左に行くのだ

初めから人は孤独だと嘯いていたんだから

泣きながらでも

なんでも、そうするべきだ



俺はもうダメだね

子供は、我が子は
自分を孤独ではいられなくする。

それにハナから器じゃない。



非凡なる君は

バーンとやってドーンとやって

寝どこなんてどこでもいい

やりたいことをやればいい


世の中のことは

君には関係の無いことだ



できないのなら、皆と一緒の道を歩けばいい