POEMS DE TEX.

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2008年10月12日(Sun)
敷金のハナシを進めたいとこだがそりゃできないぜ
今日のタイトルは秋ってことになってるかんな。オータム的なハナシをしなくちゃなんねえぜ

テキサスは昔から秋が好きなんだけど、荒木とよひさ先生作詞作曲の四季の歌ってあるじゃん
「はーるを愛するヒートーはー、こーころフンフフフ〜ン」
っつーやつ。
あの歌で秋を愛する人は、なんだか知ってますか

おい秋を愛する人はなんだか知ってっか!

テキサスは存外秋を愛する人だから、荒木先生によるとテキサスこと秋を愛する人は、心深き人にして、愛を語るハイネのような、僕(荒木先生)の恋人なんだぜ

テキサスはハイネは趣味じゃない。

あと誰だ、荒木先生って!

おい荒木先生って誰だか知ってっか!



テキルスは荒木先生っつたら漫画家の荒木飛呂彦先生しか思い浮かばねえが、テキサスは漫画家荒木先生からひとつの大事なことを学んだ

荒木先生はその代表作「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部でキャラクターのウィル・A・ツェペリに
「人間賛歌は『勇気』の賛歌ッ!、人間の素晴らしさは勇気のすばらしさ!」
ってセリフをツェペリに痛快な顔面をさせて言わせてるが、当時小学生で週間少年ジャンプを世界の真ん中に置いていたテキサスはこのセリフにズギューンときたぜ

人間賛歌は勇気の賛歌!

あ、人間賛歌は勇気の賛歌ッ!


テキサスはザッツライ!
テキサスはザッツライィィッ!
まったくそのとおりだと思うぜ

人間賛歌は勇気の賛歌だと思っているゥゥゥ!

今でもテキサス、なにか困難に立ち向かう時、ひそかに人間賛歌は勇気の賛歌ッて胸に秘めているぜ

それはまるで、キリスト教の人が天に向かって祈るが如く、日蓮系の信仰に帰依している人が南無妙法蓮華経と胸中で唱えるように、あのツェペリさんの痛快な顔面を思い浮かべながら人間賛歌は勇気の賛歌ッて思ってるぜ



作家、荒木飛呂彦は最新作「STEEL BALL RUN」の単行本第2刊の前書きにこう書いている

「季節がうつり変わるように、あるいは人が人生を歩むように、作品のテーマというものも過去からの延長線上になければと思うのです。断ち切ることは、してはいけないと考えます。(中略)テーマは同じ人間賛歌。人生という奇妙なレースを登場人物たちはどう突き進むのか!?」


コレを引用してテキサスが何を言いたいかっつーとだなあ、20年間の長きにわたって人間賛歌をテーマに描き続けたひとりの作家、荒木飛呂彦からしたら、20年前に小学生だった読者テキサスが今尚、読者テキサスでいてしかも困難に立ち向かっているその胸中に、人間賛歌は勇気の賛歌ッて唱えてる、このオレ、テキサスこそが、作家である荒木飛呂彦の作家冥利を尽きさす存在なのではないのかなァァァァァッッ!!


リペアラーズ -20 2008年10月11日(Sat)
   〜敷金争奪戦・その2〜

小岩から亀戸に移る時にも散々イライラした。
敷金のことを考えてな。

想像出来るサイアクの事態を想像して日々イラついてたばかりかむしろテンパってたぜ

結果はなんてことない

そのアパートは、なにかあったら大屋と直接やり取りしてたんだが、退去日当日、お世話になりましたっつって挨拶行ったら、大屋は家の状況も確認せずに敷金まるまるテキサスに返してくれたぜ

テキサスは家賃を滞納したことが何度かあった

家賃は手渡しだったが、遅れました〜っつって渡した時とか、逆に、お金が厳しいときは無理しなくていいからと心配してもらった

敷金を未納家賃に充当どころじゃないぜ

それどころかいつも、大屋の家の玄関を入る時には持ってなかったのに出る時にはなぜか缶ビールをテキサスは持っていたぜ



こんな優しい大屋を仮想敵に位置付けしたテキサスに不徳があったんじゃねえ

悪いなは観念の悪魔
アイツのせいだ



なんで敷金のこと考えるとイライラすんのかってさあ、本来なら退居時に戻ってくる金なのに、戻ってこないかもしれねえからだよ

でもな、敷金っつーのは絶対戻らない金だって決まってんだったらテキサス別にいいんだよ。
「敷金」っつーのは大屋が好きに使っていい金だって決まりがあればさ。
大屋的に気がむいたら返してもいいよみたいなんだったら納得しちゃうよね

だが、違うんだ。
敷金は一時的な預け金だってガイドラインは言ってる。
いわば宙に浮いてるカネだぜ

しかも大屋と契約を交わすときに契約書っつーのがあるだろ?

亀戸の家は大屋と直接じゃなくてやり取りは不動産屋としたんだ。

契約書にはざっくりいうと
「本物件の敷金取り扱いは国土交通省のガイドラインに従います。だけど特約事項があります。特約事項っつーのは、借主が出る時には借主が各項目のリフォーム代を、けっこう支払って下さい。それは敷金から引くからね」
って書いてあったんだ。
後から知ったんだがこの契約書に特約付けるのは不動産屋のメジャーな手段だったんだが、契約書にサインする時テキサスは、そんなのアリかよ!
これこの特約っつーのちょっとなんとかなりませんかとタクケンのヤツに言ったら、いやー、その条件じゃないとお家に入れてあげませんと言うからテキサスは渋々従い契約書にサインした

なんだよ、この特約だけでスゲー金額持ってかれんじゃねえかと憤ったが、そーゆう契約なら仕方ないと思った

契約書なんだからな

テキサスくらいのロウ・サイダーになると契約に縛られたんだったら別にいいんだよ。
敷金からリフォーム代ショッピかれてもさ。
そーゆう風に決まったんだからさ



だが、この契約書を無効にすることが出来るってことを後々テキサスは知った。
消費者保護法の登場だ!
この法律はまさにこのケースで断じて消費者であるところのテキサスを保護するような法律で、契約よりも強いらしいってことをテキサスは知った
裁判をすると裁判官は契約書よりも消費者保護法を優先する傾向にあるんだってよ

ええ?!
マジで?!
ああ、クソゥなんてこった!
契約にガチガチに縛られたつもりで、むしろ安穏としてたテキサスの怒りが解き放されちまったぜ!

めんどくせー!


テキサスはそう思ったね
戦うスキマがあったのがめんどくさかった
でも戦うスキマがあるんだからテキサスは戦うしかない

まったくなんてことだよ


              (つづく)


リペアラーズ -19 2008年10月10日(Fri)

  〜敷金争奪戦〜


 テキサスは、千葉県は江戸川のホトリに広がる市川市の生まれだ。

親父は東京生まれの東京育ちだがそっから都落ちして隣県の千葉に移った
いつかポエムス・ド・テックスで話したとおもうが、テキサスは、このテキサスこそがドーナツ化現象の申し子であり首都近郊型ベッド・タウン・マンの嫡流であり正統だと捉えてるぜ


テキサスが立派に成長した頃、テキサスは一人暮らしの為に千葉県市川市の家を出て総武線で10分のとこに上京した。江戸川区。駅名JR小岩。
その地でしばらく暮らした後、江東区に移った。そこは小岩よりさらに電車で10分都心に出たとこだ。JR亀戸駅だぜ。
小岩や亀戸を選んだのは当時やってたバンドの活動をやりやすくするためだった。
計らずとも市川の家から総武線で10分ずつ都心に移動しているぜ

亀戸に越したときに
「この次越すとなったらあるいはまた10分都心に迫ってしまうんじゃねえか」
と思ったぜ

今度電車で10分都心に進むと駅的には御茶ノ水になる
あれえ?!なんと千代田区じゃねえか!
なんともはや千代に八千代に天皇の住む区内じゃねえか!?



やった!ゴールだ!!


思ったねテキサス、上洛だって。

で、亀戸の家で何年か暮らした後、つい先日のことだが荷物を引き払い引越しをした。


引越し先の家の最寄の駅は、亀戸駅から総武線に乗って10分のとこ。

そう、小岩だ。

そう、テキサス都落ちの出戻りだ。

10分、天皇の家から離れてやったぜ



そんな感じで先日故あって引越ししたテキサスですが、今回は引越しにまつわる出来ごとで皆もビンカンでいつでもホットな話題だと思うが『敷金』の話をしたいと思うぜ


入居する時に大屋に金を預ける。賃借人が家賃を払えなくなった時、その預けた金が家賃として大屋の手元に渡る。不足なく賃料を毎月納金してりゃ契約終了後に全額戻ってくるハズの金が敷金だぜ

預け金だ。その預けてるハズの金がなぜか家を出る時に家の修繕費用の名目で差し引かれる。

昔から伝わる慣習だよ

その悪しき慣習をたてにとって借主に無茶な請求をする悪徳大屋がいるから敷金にまつわるトラブルは後を絶たないんだ



敷金っつーのは観念の悪魔だってのは先日、ポエムスで書いた

なんで「観念」って言葉を用いてるかっつーと敷金っつーのは貸主と借主の間で金が絡んでいる事柄のクセに、そしてトラブルの素だっつってるクセに敷金そのモノを取り扱う法律が無いためにそうテキサスは言ってるんだぜ

国からは敷金のトラブルに関する国土交通省のガイドラインが発行されているだけだぜ


ガイドラインだから法的拘束力はないぜ

まったくなんてこった

なんで敷金なんてもんがあるんだ

チクショー!!



テキサスは敷金のような理不尽の塊みてえな悪魔のことを想像するだけで億劫になり忿懣やる方なく、怒り、且つ悲しみ、その碧落が秋の空に高鳴り響くようだ


天皇は敷金のことなんか考えたことないんだろうな…

テキサスはいよいよ眼前に迫りつつある観念の悪魔と、正面切って戦う刻が来たのだということを、落日を江戸川が纏うに至って犇犇と感じざるを得なかった



            (つづく)


予告 2008年10月09日(Thu)
最近、人に会うとポエムスどうした?書いてないね。と言われる

テキサス書いてないね、ポエムス。

人がテキサスのポエムスを楽しみにしてくれてるのはありがたい
有り難いことです。

が、しかしガシカシ、テキサスはポエムスを心から待ち望む人が、本当に心底から待ち望む人がいたとしても、その人に対して阿るような態度は断じて採らない。


それはもう断じてだ。


例えばテキサスはミクシであれなんであれ、いろんな人の日記っつーか文章を読むのが好きだから目を通していますが、しばし散見するのは
「日記、久しぶりですいません」
とか
「なるべく毎日日記つけます」

とか書いてあるのを目にすることがあるけど、あれらはいったいどーゆう意味だ?

いらねーよ、それらの言葉。
日記っつーかエッセイつーか、ともかく素人が文章書くのにそんな阿りはいらねえ。
また、毎日書くとか自分を無理矢理に律するのもしょーもねえぜ
自分の文章にどれだけの価値を見出だしてるかしらねえが、そんなものはただの破廉恥な自意識にすぎないぜ



自己を表現するには、相手なんか気にしちゃ駄目だ

ただ、発するのみだ。

ただし相手なんか気にしなくとも他人様に向かって発した言葉はなんらかのカタチでコチラに帰ってくるよな。おもしろいとかつまんないとか感動したとかムカついたとか。
反応がなくても、「反応がなかった」って反応が返ってきてるよな


それらの自分が発信源で返ってきた反応に責任をもって受け止めるのは表現者しかいない。
当たり前だ。他にだれがその反応を受け取るんだ?

なにか発言した結果、批判は受けて当たり前なんだ
賛同だけ得たいが為の文章だったら書くの辞めちまえ。そんなものはイッコもおもしろくねえ



表現者は発する。
相手を気にする事なく。
そして、発したモノについては発した本人が全責任を持つ。

それだけだぜ

「しばらく日記書いてなくてすみません」
じゃねえよ。
そんな文章は表現に達してねえんだよ。
そんなんで返ってくる反応に責任をとれんのかって思うぜ
いらないことだよ。

だからテキサスはポエムスが無沙汰をして待ち望む人がいても何食わぬ顔系の顔だぜ

書きたければ書くし書かなければ書かない。
なぜならそうじゃなきゃ責任がとれないからだ


毎日書きたいことがあって実際に書けてんのなら書けばいいがただなんとなく毎日書いてるだけの文章なんかに責任は持てないだろ。
そんな文章はつまらないんだ

人につまらないねって言われたらどーすんだ?!


ステージに於いてもそうだぜ

発する時に発するだけだ

評判を気にしてなんかいらんねえ



いやホントはマジすげえ評判は気にするよ!?
むしろテキサス、あらゆることの評判は気にするタイプだ

当たり前だが受けてくれる人がいなけりゃ自己を発現したところでなんの意味もねえからな。
そのへんの考えかたはテキサスすごくポップだぜ

テキサスが発したものを受けてくれるのはホトホト有り難い。
いつもライブのあとにとにかくどうもありがとうって言ってるが嘘偽りはないぜ

とにかく、どうもありがとうだ

兎にも角にもだ



だがステージに立ってる時はカンケーない
ただ発するだけだぜ。
ありがとうとか思わないしなにも考えてない

ただ発するだけだぜ、わかるかな、コレ、この感じわかるかな。アレ?誰に言ってんのかなコレ、誰に言ってんのかな




じゃあ、ポエムス・ド・テックスは予告します!
これからしばらく毎日更新します!

まずあした
『リペアラーズ』 〜敷金争奪戦前編〜

あさって
『リペアラーズ』 〜敷金争奪戦後編〜

しあさって
『秋』

そのつぎのひ
『右手の指がチョコチョコしてるほうだと思うぜ』

そのつぎのつぎのひ
『宗教』

そのつぎのつぎのつぎのつぎの
『藻湧き』

とりあえず先の6回はこれでいきたいと思います!



みんな読んでね!
よろしく!


080921アルテコ・プライマーズ 2008年09月29日(Mon)
アルテコ・プライマーズっつーのは結婚式専用のバンドだぜ

あの夜は久しぶりのステージで2回目のライブだぜ

結婚式専用バンドだから誰かが結婚したから俺達アルテコ・プライマーズは意気も軒高に出動したんだがその誰かが誰かっつったら、ロック・バンド・ジ・エルカホン・オン・ザ・ギター・ボーカル・マサルだ。
花嫁はマサルと10年付き合っててテキサスも友達のユキちゃんだ

おめでとう。

おめでとう以外にテキサスが付け加えるテキサスの言葉はなにひとつ持ち合わせてないぜ


それにつけても
「花嫁」


すばらしい単語じゃねえか

「花嫁」
やっぱ日本語サイコーみたいな言葉じゃねえか!


辞書を引いたところ
はなよめ [花嫁]
結婚したばかりの女性。また,結婚式当日の,新婦。

と、書いてあるぜ。
結婚式当日の新婦を「花嫁」と称すなんてテキサス、ホント日本人の日本語はセンスあるなあと思うぜ!
テキサスも大人だからもう何人かの結婚式当日の新婦すなわち花嫁の表情を見たことあるが、この花嫁タイム真っ只中の女の人の顔っつーのはフツー最高の表情を見せてるよ
だからテキサスはあの幸せ満開みたいなカオを見ると、フェミニズムなんてものの考え方を到底受け入れるわけにはいかなくなっちまう。


「花嫁」が出す幸せが満開してるような顔…、あ、ソレはアレだな、要するに花嫁満開顔ってことだな。
女の人の花嫁満開顔みてーなのを、例えば男がしてんのを見たことあるかっつったら、どんな時点やあらゆる状況下に於いても、テキサスは男が花嫁満開顔してんのを見たことねえ。
もちろん、テキサスも花嫁満開顔なんか出来る気がしねえ。一生!!
花嫁満開顔は、結婚式当日の新婦すなわち花嫁しか出せない顔面だぜ。



あんなカオ、男は逆立ちしたって出来ない
女の人が満開になってんのを見ることしか出来やしない
女の人しか花嫁にはなれないんだ

男にだって花婿満開顔があってもいいもんだが、そんなのにあてはまる顔面の表情は無いし意味がわからない

ずるいじゃないか、なにがフェミニズムだ


そんな花嫁満開顔の花嫁に歌を歌ってもらったよ

アルテコ・プライマーズはバックで演奏したぜ。一曲だけだったけど、完全にアルテコ・プライマーズは花嫁満開顔楽団になれたと思う。


花婿にナイショで夜な夜なスタジオに入って練習したんだ!

スタジオも、二次会で演奏してる時も、楽しかったな